3月11日。
宮城に住む我々にはこの先も忘れることのできない
日です。
今日は塾はお休み。
朝に、後期日程で関西の大学を受ける高3の卒塾
生を励まし、午後2件の面談がありましたが、
それ以外は確定申告の書類作りに専念していました。
(9割方終了)
2時46分には、一人教室で黙祷をささげました。
昨年の3月11日を一人思い出していました。
高校入試も終わり、少し気持ち的に落ち着いていた
時でした。
ほかの中学校に先駆けて郡山中が卒業式ということ
で昼過ぎに歩いて郡山中まで行って、生徒に
お花を渡しました。
小5から通ってくれていた子なので、ちょっと感慨深い
ものがありましたね。
3時から、新規入塾生の入塾手続きを控えていたので
教室に戻ってその準備をしていました。
そして2時46分・・・2日前の高校入試当日にも
大きな地震があったので、「またか・・・」という
気持ちでしたが、だんだん強く、そして長い揺れ・・・。
下駄箱の上のものや棚のファイル類が落ちてきて、
ウォーターサーバーが倒れ、あたりに水が流れ・・・
と思っていたら停電・・・。
本当に怖かったです。
電話がなかなか通じない中、最初に塾に来てくれたの
は入塾手続きをする予定だった子のお姉さん・・・
何を隠そう、新高3の卒塾生です。
「今、弟の学校に行っているので、今日は来れないそうです」
とわざわざ伝えに来てくれました。
ひとまずその日の授業ができないことだけは
明らかでしたので、しばらく休む旨を書いた紙を
貼り、家に帰りました。
授業中でなかったことが本当に幸いでした。
その後教室を休みましたが
その間も塾のことが心配で講師の先生や塾生が様子を
見に来てくれました。
ありがたいことです。
電気が通った14日と15日に講師の先生と手分けして
生徒の安否確認・・・。
生徒、保護者全員の無事は確認できましたが、親類や
友人が大きな被害に遭ったという話も聞き、胸が痛く
なりました。
教室を再開したのは震災から5日後の16日から。
最初は生徒が来てくれるかどうか不安でしたが
多くの生徒が待ち焦がれたように集まってくれました。
やはり生徒たちには「場」が必要なんだと
実感しました。
そこからいろんなことがありました。
地震がきっかけで、転校や退塾につながった生徒も
大量に出ました。
いろんなつらさがありました。
それでも、どんな状況でもうちの塾を信頼して
自習や講習にも来てくれた生徒たち・・・それが
今いる生徒たちです。
だから・・・今いる生徒たち・・・やめずに
通い続けてくれた生徒たち、通わせてくれた保護者の
皆様がいらっしゃったからこそ、何とか1年
乗り切ってこれたのだと思っています。
卒塾生からも温かい激励の言葉もいただきました。
塾って、やはり人と人・・・なんですよね。
震災で失ったものははかりしれません。
でも、改めて人と人のつながりを感じることができ
たのは私にとってはプラスでしたね。
今まで以上に塾生、卒塾生・・・そして保護者の方
のことも大切にしたいと思いました。
今、塾でいろいろやっていること・・・塾生や卒塾生
に対してやっていること、そこには生徒たちに対する
感謝の気持ちと、どうやったら喜んでくれるか・・・
そんな思いがあります。
震災以降、生徒達の頑張る姿、喜ぶ姿・・・これが
私にとっては大きな支えでした。だから
もっと何かしてあげたい、もっとがんばってほしい、
もっと笑顔が見たい・・・そんな思いです。
塾なんて成績上げてなんぼ・・・の世界ですから
私も「結果」を重視しています。
生徒にも結果がすべて・・・と言ってます。
でも仲間と共に頑張り、周りの人に感謝の気持ちを
もち、塾を愛してくれる、それも大切なことかな
と思っています。
震災から1年が経ち、この付近は震災前と変わらぬ風景が
展開しています。
この春には富沢・長町周辺にも新たな塾がどんどんできて
きています。
ほかの塾にない魅力とは?・・・もしうちの塾に問われたら
「本当のあたたかさ」と答えたいです。
それは私が与えているのではなく、うちの塾生達がかもし出して
いる雰囲気です。
私の思いがどれだけ生徒たちに伝わっているかわかり
ません。でも、このあたたかさを感じて、新たにうちの
塾の門をたたいてくれる生徒がいてくれたら嬉しいです。
何かいろんな思いがあるのですが、うまくまとまりませんね。
塾生、卒塾生のあたたかい笑顔をたくさん生み出すためにも
まだまだ頑張ります。
2012年03月11日
あの日から1年
posted by じゅくちょー at 23:46| Comment(0)
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