いよいよ明日15時から公立高校後期選抜の
合格発表があります。
まさに泣いても笑っても結果が出てしまいます。
本当に胸が痛くなります。
いや、これを書いてる今もかなり苦しい・・・。
今日でこんな状態ですから明日はもっと
ひどいでしょうね。
もちろん私なんかより受験した生徒、そして
そのご家族の皆様の方が大変でしょうね。
ただ、何度も言っているとおり、この合否で
人生が決まるわけではありません。
むしろ、ここからが大事です。
まず後期選抜を受けた9名は本当に
よく頑張ってきました。
多くの課題にも私からの厳しい罵倒にも
長時間の拘束にも耐え、やりたいことも
我慢し・・・。
本当に最後の最後まで頑張りました。
そしてもう一つ、ただ勉強だけやってれ
ばいい・・・とはならず、周囲への気遣いや
感謝の思い、自分も大変なのに苦しんで
いる仲間を励ましたり・・・。
本当に人間的にも成長し、精神的に強く
なったと思います。
実はそのことこそが大事なんだと思ってます。
昨年末に話をしてくれた4期生の匡晴君が
言ってましたが、結果が出ないと
「今までの努力が無駄だった」とか
「努力が報われなかった」という発言をする
人がいます。
でも無駄になる努力なんてありません。
確かに今の結果にはつながらなかったかも
しれないけど、必ずこの努力が「意味があった」
と感じる時が来ます。
それはもしかしたら1年後かもしれませんし
数年後かもしれません。でも必ずきます。
そしてすぐに結果につながったとしても
そこで油断してはいけません。
努力は続けてこそ価値があるもので、
自分を過信すると思わぬ落とし穴が待って
いるときがあります。
私は明日、全員の合格を祈ってますし
信じてます。
でも万が一思い通りの結果が出なかったと
しても恥じることは何もありません。
ひとりひとりの頑張りは私が一番わかって
います。
ここから気持ちを切り替えて、努力を
続ければいいのです。
さあ、後期選抜を受けた9人。
前を向いて合格発表の掲示板を自分の目で
見てきてください。
2015年03月11日
明日は合格発表
posted by じゅくちょー at 22:40| Comment(0)
| 日記
あれから4年 あれから2年
思い出すだけでもつらく悲しい気持ちになる
東日本大震災から今日で4年になります。
今日も日中、確定申告の作業のお手伝いで高1の
卒塾生の子に来てもらっていましたが、2時
過ぎでお願いしたい仕事が終了したので、
そのあとは教室に一人でいました。
2時46分・・・ラジオを聞きながら黙祷を
捧げました。
4年前の3月11日。その日は富中より1日早く
郡山中の卒業式があったので、お花を届け
ようと昼過ぎに郡中まで出向き、生徒に
お花を渡し、教室に戻ってきました。
3時から新規入塾の生徒(卒塾生の妹さん)の
入塾手続きを予定していたので、その準備を
している時でした。
数日前の公立高校入試当日にも割と大きい
地震もありましたし、中2時代に宮城県沖
地震も経験し、地震には慣れていましたが
その日の揺れは長く大きく、今までに経験の
ないものでした。
棚から教材やファイルがすべて落ちてきて
重いはずのウオーターサーバーや下駄箱が
大きくゆれ、それを必死で抑えていました。
近くの富沢駅では窓ガラスが割れる音がし、
外を見れば電線が大きく揺れている・・・。
本当に長く怖い時間でした。
すぐにこれが必ず来ると言われてた宮城県
沖地震かと判断しました。
外に出ると同じビルの方がみんな外に出て
恐怖に震えていました。
ただ、阪神大震災の映像が頭にあったので
ビルも倒壊していないし、道路にヒビ
が入ってるわけではないし、大きい揺れの
割には被害が少なくて安心しました。
それがこんな未曾有の震災につながると
は想定もしてませんでした。
電気は消え、小雪も舞い散り、余震も続き
徐々に恐怖が感じられました。
ラジオをつけると「沿岸地域に大津波警報
発令」という声が飛び込んできました。
「大津波」・・・初めて聞く言葉に
何か底知れぬ恐怖を感じました。
幸いにもうちの塾のある土地は沿岸から
だいぶ離れているので、すぐに危機感は
感じませんでしたが、これ以上の被害が
でないこと、これ以上の大きな揺れが
来ないことだけを願っていました。
10分後くらいに、入塾手続きをするはず
だった子のお姉さん(卒塾生)が走って
塾まで来てくれて「このあと、妹を学校に
迎えに行くので、お母さん来れなくなりました」
とわざわざ報告に来てくれました。
「わかってるよ。それより、お前のとこは
大丈夫なんか?」と聞くと、家族みんな無事と
のこと・・・。
その時はっとわれに返って、塾生、卒塾生、
講師、そして家族・・・いろんなことが心配
になってきました。
ただ、確認しようにも電話がつながらない状況。
今日は授業は無理だなと思い、入口に今日は
休校の貼り紙を貼って、いったん家に帰ること
にしました。
家はいろんなものが散乱し、まさに足の踏み場
のない状況でした。
その後、実家の母のもとに車を走らせ安否を
確認した後、このあたりは水も出なくなって
いたのですが、なぜか実家はまだ水が出る
ということだったので、荷物をまとめて実家に
避難することにしました。
夜に心配して講師の先生や生徒、保護者の方
などが塾に来てくれたと後から聞きました。
本当にありがたいことです。
震災の恐怖を感じるのは揺れそのものよりも
そのあとからでした。
情報がない中、あんな大きな津波が来てたことや
あんなに被害が出てたことをしったのは電気
が復旧してからでした。
塾を再開したのは震災から5日後。
今は勉強する気持ちじゃないだろうけど、
塾にできるのは場を提供すること・・・
その思いで自習という形で教室を開きました。
生徒も来てくれました。
みんなつらく寂しい思いをして、場を求めて
いたんだろうなと感じました。
震災の影響で多くのものを失いました。
県外に引っ越した塾生もいました。
生徒も激減しました。
それでも多くの塾生、卒塾生、保護者に
支えられて、なんとか塾を再開することが
できました。
人生において、出会った「縁」と受けた
「恩」は絶対忘れちゃいけないなと改めて
感じました。
本当に毎年いろんなことを思い出します。
そして震災から2年後、岩沼市で「特集NHK
のど自慢」が開催されました。
本来であれば震災の年の5月に開催予定だった
ものです。
私のライフワークである「のど自慢」。
この震災で県外の友人からも多くの支援や
励ましをいただきました。
今度は宮城から元気を伝える番だ・・・
そんな思いで応募し、無事ハガキ通過。
予選会にはその日卒業式を終えたばかりの中3
生をはじめ、卒塾生、塾生、保護者の方が
応援に駆けつけてくれ、
なかにはおじいちゃんやおばあちゃんも連れてきた
という子もいました。
本当に嬉しかったです。
結果は奇跡的に予選突破で本選出場。
高校生の次女とともにファンモンの「夢」を
歌いました。
「あの日描いた夢はいつだって僕たちを
待ってる・・・♪」みんなに夢をもって前に
進んで欲しい・・・そんな思いを込めて
歌いました。
鐘は2つでしたが本当に楽しかったです。
そこで出会った出場者の方々の多くが
被災され、家を失った方、家族を失った
方もいました。それでもみんな元気に
前を向いて進もう・・・そんな気持ちが
感じられ、本当にたくさんの元気をもらい
ました。
毎年、この日が来ると、つらく悲しい
できごとを思い浮かべてしまいますが、
同時に「のど自慢」の明るく元気な
シーンも思い出します。
どっちの体験も私にとっては忘れられない
一生忘れちゃいけない体験です。
先週の木曜日に公立高校の入試がありました。
毎年、その6日後に発表があるので
今日が発表日のはずだったのですが、3.11
なので、明日になっています。
明日まで、私自身、今から胸が痛いです。
全員合格して欲しい・・・。その思いですが、
後期を受けた9名、みんな最後まで頑張った
そのことはどんな結果であれ誇りに思って
ほしいと思います。
東日本大震災から今日で4年になります。
今日も日中、確定申告の作業のお手伝いで高1の
卒塾生の子に来てもらっていましたが、2時
過ぎでお願いしたい仕事が終了したので、
そのあとは教室に一人でいました。
2時46分・・・ラジオを聞きながら黙祷を
捧げました。
4年前の3月11日。その日は富中より1日早く
郡山中の卒業式があったので、お花を届け
ようと昼過ぎに郡中まで出向き、生徒に
お花を渡し、教室に戻ってきました。
3時から新規入塾の生徒(卒塾生の妹さん)の
入塾手続きを予定していたので、その準備を
している時でした。
数日前の公立高校入試当日にも割と大きい
地震もありましたし、中2時代に宮城県沖
地震も経験し、地震には慣れていましたが
その日の揺れは長く大きく、今までに経験の
ないものでした。
棚から教材やファイルがすべて落ちてきて
重いはずのウオーターサーバーや下駄箱が
大きくゆれ、それを必死で抑えていました。
近くの富沢駅では窓ガラスが割れる音がし、
外を見れば電線が大きく揺れている・・・。
本当に長く怖い時間でした。
すぐにこれが必ず来ると言われてた宮城県
沖地震かと判断しました。
外に出ると同じビルの方がみんな外に出て
恐怖に震えていました。
ただ、阪神大震災の映像が頭にあったので
ビルも倒壊していないし、道路にヒビ
が入ってるわけではないし、大きい揺れの
割には被害が少なくて安心しました。
それがこんな未曾有の震災につながると
は想定もしてませんでした。
電気は消え、小雪も舞い散り、余震も続き
徐々に恐怖が感じられました。
ラジオをつけると「沿岸地域に大津波警報
発令」という声が飛び込んできました。
「大津波」・・・初めて聞く言葉に
何か底知れぬ恐怖を感じました。
幸いにもうちの塾のある土地は沿岸から
だいぶ離れているので、すぐに危機感は
感じませんでしたが、これ以上の被害が
でないこと、これ以上の大きな揺れが
来ないことだけを願っていました。
10分後くらいに、入塾手続きをするはず
だった子のお姉さん(卒塾生)が走って
塾まで来てくれて「このあと、妹を学校に
迎えに行くので、お母さん来れなくなりました」
とわざわざ報告に来てくれました。
「わかってるよ。それより、お前のとこは
大丈夫なんか?」と聞くと、家族みんな無事と
のこと・・・。
その時はっとわれに返って、塾生、卒塾生、
講師、そして家族・・・いろんなことが心配
になってきました。
ただ、確認しようにも電話がつながらない状況。
今日は授業は無理だなと思い、入口に今日は
休校の貼り紙を貼って、いったん家に帰ること
にしました。
家はいろんなものが散乱し、まさに足の踏み場
のない状況でした。
その後、実家の母のもとに車を走らせ安否を
確認した後、このあたりは水も出なくなって
いたのですが、なぜか実家はまだ水が出る
ということだったので、荷物をまとめて実家に
避難することにしました。
夜に心配して講師の先生や生徒、保護者の方
などが塾に来てくれたと後から聞きました。
本当にありがたいことです。
震災の恐怖を感じるのは揺れそのものよりも
そのあとからでした。
情報がない中、あんな大きな津波が来てたことや
あんなに被害が出てたことをしったのは電気
が復旧してからでした。
塾を再開したのは震災から5日後。
今は勉強する気持ちじゃないだろうけど、
塾にできるのは場を提供すること・・・
その思いで自習という形で教室を開きました。
生徒も来てくれました。
みんなつらく寂しい思いをして、場を求めて
いたんだろうなと感じました。
震災の影響で多くのものを失いました。
県外に引っ越した塾生もいました。
生徒も激減しました。
それでも多くの塾生、卒塾生、保護者に
支えられて、なんとか塾を再開することが
できました。
人生において、出会った「縁」と受けた
「恩」は絶対忘れちゃいけないなと改めて
感じました。
本当に毎年いろんなことを思い出します。
そして震災から2年後、岩沼市で「特集NHK
のど自慢」が開催されました。
本来であれば震災の年の5月に開催予定だった
ものです。
私のライフワークである「のど自慢」。
この震災で県外の友人からも多くの支援や
励ましをいただきました。
今度は宮城から元気を伝える番だ・・・
そんな思いで応募し、無事ハガキ通過。
予選会にはその日卒業式を終えたばかりの中3
生をはじめ、卒塾生、塾生、保護者の方が
応援に駆けつけてくれ、
なかにはおじいちゃんやおばあちゃんも連れてきた
という子もいました。
本当に嬉しかったです。
結果は奇跡的に予選突破で本選出場。
高校生の次女とともにファンモンの「夢」を
歌いました。
「あの日描いた夢はいつだって僕たちを
待ってる・・・♪」みんなに夢をもって前に
進んで欲しい・・・そんな思いを込めて
歌いました。
鐘は2つでしたが本当に楽しかったです。
そこで出会った出場者の方々の多くが
被災され、家を失った方、家族を失った
方もいました。それでもみんな元気に
前を向いて進もう・・・そんな気持ちが
感じられ、本当にたくさんの元気をもらい
ました。
毎年、この日が来ると、つらく悲しい
できごとを思い浮かべてしまいますが、
同時に「のど自慢」の明るく元気な
シーンも思い出します。
どっちの体験も私にとっては忘れられない
一生忘れちゃいけない体験です。
先週の木曜日に公立高校の入試がありました。
毎年、その6日後に発表があるので
今日が発表日のはずだったのですが、3.11
なので、明日になっています。
明日まで、私自身、今から胸が痛いです。
全員合格して欲しい・・・。その思いですが、
後期を受けた9名、みんな最後まで頑張った
そのことはどんな結果であれ誇りに思って
ほしいと思います。
posted by じゅくちょー at 15:56| Comment(0)
| 日記