2015年01月15日

感謝の気持ちを表すことと「当たり前の基準を上げる」こと

今日のタイトルは私が常日頃から生徒や
保護者の方に偉そうに語っていることです。
まず、「感謝」・・・時々、人間って
感謝の思いがあるから生きていけるんじゃ
ないのかなと思うことがあります。
もちろん「お金」のため・・・という場合
もあるでしょうが、感謝の言葉や態度は
お金には代えられないと思っています。
そういうわけで、生徒たちには、感謝の
気持ちは言葉で表すように・・・と話して
います。
最初は意識的であったとしても、だんだん
それが当たり前になり、無意識にできる
ようになると思います。
実際、ここで言ったほうがいいのかな・・・
と思ったときは言ったほうがいいのです。
相手が「えっ」って顔をしたとしても
嬉しいものです。

で、誰に?ってことですが、まずは身近な
人に対して・・・。
塾で勉強できるのは誰のおかげ?
勉強に集中して受験頑張れるのは誰の
おかげ?
食事を作ってくれたり、お小遣いを
くれたり、車で送迎してくれたり、
朝起こしてもらったり・・・。
何より塾の授業料は親が一生懸命
働いてくれたお金の一部なわけですから。
親に感謝できない人間はダメ人間
とさえ言ってます。
親に対して「関係ねえ」とか
「うるせええ」とか口をきくやつは
まず成績は上がりません。
勉強は生活の一部だと思っています
から生活態度や意識を変えられない
人間は簡単に成績を上げることも
できないと思っています。
まあ、それが難しいんでしょうけどね。
ですからまずは塾内でも感謝の気持ち
を言葉で表す、謝るべきところはきちん
と謝る・・・こういったことを今後も
徹底させたいと思っています。

そしてもう一つ「当たり前の基準を
上げる」
このことは面談の場などでもよく話して
いますが、成績のいい子がよく
「私は勉強してないよ」と言って
批判されることがありますが、彼女たち
にとっては勉強が生活の一部に
なっているから、宿題をやることや
予習・復習をすることは「特別な勉強」
ではなく、呼吸や食事と同じで当たり前
のことになっているのだと思います。
私が目指しているのは、一人ひとりが
持っている「当たり前」の基準を
少しずつでも上げたいなあということ
です。
例えば塾に来たら挨拶をする
宿題は完璧にやってくる
授業中はおしゃべりしない
課題は締切までに終わらせる
ワークはテスト前に3周はやる
・・・
今まで特別だと感じていたことも
意識的に繰り返していくと、
それが当たり前のことになります。
今、毎日朝塾に来て頑張ってる
子がいますが、それだって最初から
できていたわけではなく、毎日
頑張ってるうちに、それが当たり前
になっているのだと思います。
そうやって、当たり前の基準を
上げていくと、だんだんできることも
増え、できるレベルも上がっていき
ます。
どこかで言い訳を考えたり、自分に
甘い人間はずっと進歩もありません。
「いや、いざとなればやるよ」と
言う子もいますが、今までやって
なかった子と常日頃からやっている
子ではそもそもできる確率が違います。
あとは意識も大きいでしょうね。

私も年のせいか(笑)体のことを
心配されたり、いろいろ温かい
言葉をいただきます。
でも、早起きも当たり前で、苦痛とは
感じてませんし、日曜日も教室を
開けていないと落ち着かないですし
塾生だけでなく、卒塾生を応援する
のも当たり前のことです。
当たり前に理由はありません。
当たり前の基準が高い生徒はかっこ
よく見えます。
テスト前に「勉強やってる?」と
聞いて「まだ学校ワーク3周しか
終わってません」とか
「毎日朝塾来るの大変じゃない?」
と聞いて「自然に目が覚めちゃう
んですよ。朝勉強しないと落ち着か
なくて」とか・・・。
私自身もまだまだ当たり前の基準を
上げたいと思っています。

今日、教材会社の方から富沢に
また新たな大手塾が来ることをお伺いし
ましたが、若い教室長がバリバリ
やってるというのを伺って、負けず
嫌いの心に火がつきました。
50には50の底力がある
そんじょそこらの若造には負けない
昭和パワーを見せたるわ・・・
と昼間から燃えています。
来週から久々にポスティング活動
もやろうかな。
あ、まずはまだ行ってない基本検診
に行こう。(笑)
posted by じゅくちょー at 14:42| Comment(0) | 日記
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