2019年07月30日

城フェチ

私は実は城フェチです。

お城を見るのが大好き・・・。

といっても全然素人レベルですが、

これまで

姫路城、大阪城、名古屋城、犬山城、

松山城、高知城、高松城、徳島城、

宇和島城、熊本城、丸亀城、鶴ヶ城、

弘前城、松本城、福山城、岡山城などなど

見て回ってます。

西日本に美しいお城が多いですね。

その中でもやはり世界遺産の姫路城は

ダントツの美しさ。

22106-06ufbtXC7xBz19vb02yE_lrg_re.jpg

初めて見たとき、ひとめぼれしました。

姫路城はかれこれ3〜4回行きました。

最近の生徒には言ってませんが、昔は

姫路城への愛を生徒たちにも語っていたため、

IMG_6227.JPG

IMG_6228.JPG

などをもらったりしました。

ぜひ生で見たことない方は1度見て

ほしいですね。

・・・といいつつ改修後の姫路城には

まだ行ってないのですが・・・。

社会の問題で「姫路城」を答えられない

生徒には私から厳しいお言葉がかけられます。

ちなみに2位は宇和島城。


AH010701.jpg

こじんまりとしているのですが、何か風情が

あります。

時間のある時に城をめでる旅をしたいなあ。





posted by じゅくちょー at 05:00| 塾長タイム(午前)

2019年07月16日

出席番号問題その後

先日、私の出席番号へのこだわりを

記事にしましたが、それを読んだ方から

「私は大学時代、アルファベット順でした」

という驚きの情報が入ってきました。



アルファベット順





斬新だ!!!!




AGATSUMA


ん??

AIKAWA

AIHARA

AIZAWA

AOKI

あれ?





勝てる!!!!



今までどうしても勝てなかった

相川、相沢、相原さんたちに勝てる

青木さんにも勝てる



やばっ!!!




アルファベット順



気に入った!!!!!



採用!!!






と思い、塾生の苗字を思い返して

みた・・・





あ・・・・・・・・



ABE


阿部さん・・・・・



あれ?


あれ?



負けた。

AB・・・はずるい。

そっか、アルファベット順でも

ライバルがいたか。

残念!!!






そういえば、我妻家最大の事件簿

娘、3番事件の話には後日談が

あって、その日「残念だったな」

と涙をこらえ、娘に声をかけたら



「そう? 1年2組3番って結構気に入ってる

んだけど」と。


なるほど、そういう目立ち方があったか。(笑)




出席番号エピソード、まだまだ募集中です!!
(勝手にシリーズ化してます)

今日も1日頑張りましょう。










posted by じゅくちょー at 05:00| 塾長タイム(午前)

2019年07月13日

塾長という人物を知ってもらうために その2

昨日の「のど自慢」の動画はなかなか

インパクトがあったようですね。

昨日の続きです・・・

毎年、挑戦しては予選敗退やハガキ

落選を繰り返していました。

そんな中2013年3月10日に割と近い岩沼市で

「のど自慢」があるという告知がありました。

日程的にも高校入試が終わったあと。

しかも震災から2年経つということで、本選出場が

通常の20組から5組多い25組になると。

これはチャンスと思いました。

そして考えた私の作戦。





娘を誘おう!






実はこれまでも友人や卒塾生を誘ったことも

あったのですが、すべてハガキ落選。

多少不安がありましたが

高2の娘を誘ったところ2つ返事でOK。

(いろいろ事前交渉があったのですが、

それは動画をご覧下さい)

無事ハガキが通り、予選会(250組)に出場

が決まりました。

P1020029.jpg

今回は塾生、卒塾生にも

声をかけ予選会から応援に来てもらいました。

噂のK子も帰省中で家族総出で応援に来てくれ

てました。

DSCF2176.jpg

DSCF2178.jpg

DSCF2177.jpg


ちなみに怪しい関係と思われたくないので(笑)

「父」「娘」という名札をつけました。

これを書いてくれたのは当時中3の10期生Mちゃん

とにかく思い切ってやりきりました。

DSCF2179.jpg

結果








なんと本選出場!!



250組中25組・・・倍率10倍突破。




日曜お昼、全国生中継!!


海外にも配信


嬉しかったですね〜




これで塾生たちにも

IMG_6147.JPG
↑塾長カレンダーより

ということを伝えられる!!

予選会の日は夜の8時過ぎまで打ち合わせ。

本選当日は朝の7時集合でリハ。

みんな和気あいあいで楽しかったなあ。


既にご覧になっている方も多いと思いますが

まだ見たことのない方のために・・・

ではどうぞ・・・

https://youtu.be/7LG0dw5YbmE

この日の様子はまた明日・・・




posted by じゅくちょー at 05:00| 塾長タイム(午前)

2019年07月12日

塾長という人物を知ってもらうために

名学館ファミリーならご存知の方も多いが

私は「のど自慢」が趣味です。

というと「カラオケ行きましょう」などと

いわれるが、けしてカラオケが好きなわけ

ではない。

日曜お昼に放送している「NHKのど自慢」が

純粋に好きなのである。

歌に込められた思い、家族、友人、お世話になった

人への感謝、励まし・・・もちろん単に目立ちたい

とか歌手への第一歩と考えている人もいる。

これ以上ない人間模様が描かれたまさにヒューマン

ドキュメントである。

単に素人の歌番組

あんな下手なのによく出られるなあ

これは「のど自慢」の本質をわかっていない

証拠です。

なんて偉そうに言ってますが、私もその

魅力に触れ、深さを知ったのは20年前くらい

からです。若い時はバカにしてる側でした

からね。

私は2013年の3月の宮城県岩沼市大会で

本選に出ました。塾生、卒塾生だけでなく

保護者の方まで予選会、本選と駆けつけて

くださいました。

まあ、このへんの話は追って話しますが

実は本選に出る4年前にNHKの取材を受け、

テレビに出演したことがあります。

今から10年前・・・。

ブログ改革で、まずは塾長という人物を

わかってもらいたい、こんな一面もある

のだということを知ってもらうには、まず

この動画を見てもらうのがよいかなと思い

ました。

2009年2月にNHK(地上波)で深夜、全国に

放送されたものです。

当時の中3(6期生)にも協力してもらい、

楽しく取材してもらいました。

どんなことにも真剣に取り組む姿

まずはご覧ください。

あ、動画なので、音声注意してください。(笑)

一部機種によっては見られない場合も

ありますので、ご了承ください。

感想はメールでお願いします。

https://photos.app.goo.gl/rgun5dDUq1XNwYEx6



posted by じゅくちょー at 06:06| 塾長タイム(午前)

2019年07月10日

1番バトルその2

昨日の出席番号1番の話、結構

評判良くてよかったです。


さて、残念ながら今回の定期テストで

1位はいませんでした。

1位って大変だよね。

でもでも、私もかつてテストで1位を

とったことがあります。

なんと高校入試で向山高校首席合格ですっ!


かつての栄光ですが。(笑)

あの当時は一般入試のみ、理数科もなかった

ので、定員240人中の1番ということですね。

春休みに高校から電話があり、「入学式で代表

挨拶をしてほしい」と。

私は首席合格の人が入学式の挨拶をするなど

知らなかったので、てっきり「お、ってことは

1組1番ってことだな。よっしゃあああ」

と出席番号1番になれる喜びでいっぱいでした。

後になって真相を知って、自分でも驚きました。


前にも書きましたが当時、私はラジオ番組に

ハガキ投稿するのに夢中になっていて、中高生に

人気の「AMO」というラジオ番組の常連だった

ため、入学式で私の名前が呼ばれた瞬間

生徒たちがざわざわしているのに気づきました。

「え? 我妻博隆ってあのAMOの?」という感じで。

そんな中、壇上に上がる優越感。

嬉しかったですね〜。

ちなみに6組の1番でした。(笑)

中高とも定期テストで1番をとったことはないので

テストの1番はこの1度限り。

でも、こういう目立てる時にとるあたり、

さすがだわ〜と自画自賛してしまいます。

あら?単なる自慢話?

おふざけ塾長ですが、たまには「すげー」

というところを見せないとね。






posted by じゅくちょー at 23:57| 塾長タイム(午前)

1番バトル

私はとにかく目立つのが好きだ。

できるなら1番になりたい。

そんな風に思っている。

・・・というと大企業の社長にでも

なるんかい?と言われそうですが

もっと小さい、もっと狭い範囲での話。(笑)

学生時代で言えば、出席番号1番。

自分の苗字は「我妻」・・・

ときどき営業電話などで「わがつま」さん

と呼ばれると、異常にむかつく。

「だったら、出席番号最後になるやろ」と

心の中で突っ込む。(笑)

1番になれる「あがつま」で良かったと思う。


とはいえ、中学、高校の6年間で

(小学校は誕生日順だったので)

中1「2番」、中2「2番」、中3「1番」

高1「1番」、高2「2番」、高3「1番」

なのだ。

2番の時の屈辱、1番の時の優越感

「あ」行の苗字の人なら少なからず持っていると

思う。

2番の時はいずれも敵は「相沢(相澤)」君だった。

うちの塾でも歴代、相沢、相川、相原、青木、青柳

という生徒と出会った。

苗字を聞いた瞬間、ちょっとの悔しさがあった。

・・・「負けた」・・・・・・


子どもが生まれ、娘たちの出席番号1番バトル

は私の方が燃えた。

新年度、入学式、始業式の日真っ先に娘たちに

「何番だった?」と聞いて、「1番」というと

ガッツポーズをしたものだ。

上の娘はほぼ1番だったように記憶している。

しかし、我妻家最大の屈辱は下の娘の中学の

入学式・・・。

入学式なので、私も出席したが、張り出された

クラス発表を見て愕然・・・










3番



え?


3番?????


見たことのない、経験したことのない領域。

敵は相沢、青木だったかな・・・いやもう忘れた。

とにかく「3」という数字は想像もしたことの

ない数字だった。

あまりにもショックで(私が)入学式の

最中もずっと落ち込んでいた。




3番・・・





本人は平然としていたが

「悔しくないのか〜」と怒鳴りそうになりました。

しかし、翌年1番を奪還。


中3も1番。

しかも中3では卒業式でフルで読まれる1組1番

をゲット!!!

残念ながら震災のため、卒業式が延期、縮小されて

卒業証書は生徒会長がもらうことになったので、その夢は

はかなく消えましたが・・・。



くだらないと思うかもしれませんが、実は「あ」行の

人にとっては結構大きな問題。

(同調して下さる方いますかね〜)


他のクラスの名簿を見て「い」で1番になっている

のを見たりすると「出た〜新参者」と思ってました。

昔、プロ野球選手で「阿井」という苗字の人が

いましたが、うらやましかったな〜。

「阿井 明」とかだったら最高だろうな〜とか。

1番物語は続きます。














posted by じゅくちょー at 06:23| 塾長タイム(午前)

2019年07月09日

書くことが好き

塾長タイム  第3回

私は若い頃から文字を書くのが好きだった。

きっかけは小5の時。

当時はラジオブーム。

私も流行にのって、夜のラジオ番組に

夢中になっていました。

今の子どもたちがYOUTUBEに夢中になって

いるようなもん?

ちょっと違うか。(笑)



そしてラジオを聞いてるだけでは物足りず、

ハガキを投稿し始めた。

最初は単に曲のリクエスト。

あの、ラジオで読まれるかもしれないという

ドキドキ感、高揚感は言葉では表せない。

初めてハガキが読まれたときに、そのDJの

方が「堂々とした大きい字ですね」と

ほめてくれた。

めちゃうれしかった。

・・・というわけでそこから私の

ラジオ投稿人生が始まった。

東北放送の「AMO」というラジオ番組

では、毎週ハガキを出し、いつの間にか

「常連」と呼ばれるように。

あの大友康平にも名前覚えられていた

からね。


東京のラジオ番組、大阪のラジオ番組、

名古屋のラジオ番組ともう毎週毎週

いろんな番組にハガキを書きまくって

いました。

それが中学、高校時代。

就職してから、最初の配属になったのが

チャレンジの編集部。

実は中学生のチャレンジの国語の

教材編集をしていたんですよ。

IMG_6131.JPG

そうすると、来るんですよ・・・

あれが・・・




あれ




ファンレター(笑)




IMG_6132.JPG

IMG_6134.JPG

ね、びっくりですよね。

毎週いろんな子から届くわけです。

当時の会社の方針で、もらった

ファンレターにはなるべく返事を

書きなさいと・・・。

だから、書いてましたよ。

ファンレターの返事。


そうすると、返事の返事が来る・・・

結局文通状態になり、一時は

毎日返事書いてましたね。

ただ、昔から何かを書くってことが

嫌いじゃなかった、むしろ好きだった

ので、仕事の気分転換になって

楽しかった!!

そして16年前に塾を開き、何かあるときは

生徒や保護者に手書きの手紙を書くように

なりましたね。

手書きってなんか嬉しいじゃないですか。

前に卒塾生から、中学時代に塾長から

もらった応援の手紙、今も飾ってます

なんて聞くと、涙がちょちょ切れそうに

なります。

どんなに拙い字でも、気持ちがこもって

いれば思いは伝わるはずだ・・・そんな

風に思ってます。

入試近く、卒業近くになると、家に持ち帰

って、夜な夜な手紙を書いているので

うちの奥さんからも「マメだね〜」と

褒められてるのか馬鹿にされているのか

わからないような言葉をかけられます。


だから、私もベネッセ時代に生徒たちから

もらった手紙や塾を始めてから生徒や

保護者の方からいただいた手紙は捨てられず

大切にとっています。

PCやスマホ全盛の時代ですが、

自分の手で書く・・・ということ

大切にしたいな。




posted by じゅくちょー at 05:00| 塾長タイム(午前)

2019年07月08日

早起きの原点その2

塾長タイム 第2回

おはようございます。

今日も気持ちのいい朝。

目覚ましより前に目が覚めました。


前回
http://meigakukan.sblo.jp/article/186242479.html

中学生の身でありながら新聞配達を

始めた我妻少年。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 犬ニモマケズ

頑張りましたよ。

もちろん数か月で念願の「ラテカセ」ゲット!!

そうしているうちに早起きして新聞配達する

こと自体楽しくなっちゃたのです。

いつも「おはよう」と声かけてくれるじいちゃん。

自転車ごと転倒して、新聞をぶちまけた

時に手伝ってくれた通りすがりの車の人。

もしかしたら新聞配達は早起きの原点でも

あり、私がいつも言っている人への感謝

の原点かも・・・。

最近はご無沙汰になりましたが、自分の足で

ポスティングしてると、当時のことを

つい思い出してしまいます。


早起きとは関係なくなりましたが、配達の

楽しさから、高1〜大学4年まで(浪人中除く)

年賀状配達のアルバイトもしていました。

なんなら郵便局に勤めようかと考えたくらい。



そんな我妻少年も成長し、大学を卒業し、

無事、東京のB社(当時のF書店)に就職。

最初の配属先で我々新人が上司から言われた

のが「君たちはまだ会社では戦力になれない

のだから、これだけは一番だと言えるものを

作りなさい」という言葉。

一番かああ・・・今まで出席番号は安定の

一番だったなあとどうでもいいことを思いつつ

出した結論が

「毎日、朝一番に出社しよう!!!」

次の日から朝6時半に家を出て、7時半には

会社到着。

(ちなみに当時の出勤時間は朝の9時半)

それを繰り返していました。

改めて朝早いと、電車は座れるわ、気持ちに

余裕が生まれるわ・・・で良いことづくめ。

今だったら、働き方改革で怒られちゃうかも

しれませんね。

2年目からは私より早い新人が現れて、一番

の座は奪われてしまいましたが、それでも

朝はいつも早く行ってましたね。



そんな流れなので、今でも早起きしない人の

気持ちがわからない・・・

いや、体質的に朝がダメという方もいるので

全員がというわけではありませんが、

「目覚ましをいくつかけても気づかない」

なんて聞くと、「はっ?」って思います。

つい止めてしまうならわかるけど、気づかないって。

「起きられない」

「夜型だから」

もう全部言い訳。

かの我妻塾長も「塾長カレンダー」(在庫切れ)

で言ってるじゃないですか。

IMG_6123.JPG

ってことですよ。

なんでも「習慣」だと思います。

塾で朝塾を始めて、生徒たちに早起きを推奨する

ようになってから、保護者の方に感謝される

ことが多くなりましたが、親に起こされてい

るようではまだまだ。

親を起こすくらいになったらいいね。

さあ、早起きを習慣化しよう!!














posted by じゅくちょー at 06:25| 塾長タイム(午前)

2019年07月07日

早起きの原点

塾長タイム 第1回

というわけで、午前中は塾長の
人となりを知ってもらうための記事。

あ、塾生保護者、卒塾生、卒塾生保護者
の皆さんは塾長にこんなこと聞いてみたい、
こんなことを書いてほしいというのがあり
ましたらぜひメールをお寄せくださいね。

お名前は出しませんので、安心してどんな
くだらないことでも質問送ってください。


今日は早起きの話

私は平日は毎日、朝塾のため、朝5時に起き
てます。

卒塾生の中に朝4時や4時半に起きて勉強
頑張っている子もいるという話も聞くので
まだまだかもしれませんが。

で、この早起きの原点は中学時代にさかのぼ
ります。

実は中1の夏から中3の夏まで新聞配達の
アルバイトをしていました。

今は中学生はダメなのかもしれませんが、
当時は中学生にできるアルバイトは新聞配達だけ。

じゃあ、なぜ中学時代の我妻少年が新聞配達
をしたかというと「ラテカセ」がほしかったから。

「ラテカセ」とは「ラジオ」「テレビ」(5インチ
の白黒)「カセット」が1台になったもの。

これこれ↓
k389702458.jpg

当時数万円した人気商品でした。ビデオのない時代、
テレビを「録音」できるのはかなり画期的なこと
だったのです。

当時は音楽番組全盛でしたからね。

母親に「ラテカセほしい」と言ったら「新聞配達
でもして自分で買いなさい」という冷たい返事。

あきらめさせようとして言ったのかもしれませんが、
我妻少年はその言葉を素直に受け止め、「じゃあ、
そうする」と新聞配達を始めたのでした・・・。

(第2回へ続く)

posted by じゅくちょー at 04:04| 塾長タイム(午前)
簡単アクセスカウンター
アクセスカウンター
RDF Site Summary
RSS 2.0